14日(日)、12:30から派遣候補学生向けの第2回オリエンテーションが、15:30から豪州受入学生送別会がそれぞれ2時間ずつ2510地区青少年交換委員会(YEC)により、ホテル ルーシス札幌で開催された。
■ 地区青少年交換委員会の要領の悪さ
当サイトは派遣候補生のカウンセラー予定者として、オリエンテーションに出向いた。定刻の5分前というのに受付が設営されていない。ひとり慌てふためくYEC事務局は、名札を並べるのにもオロオロ。まだ慣れていないという理由付けは、容易い。今年度、新委員長体制下ですでに半年が経過している。地区委員が誰も見当たらない理由も「委員会がおしておりまして…」。それはYEC側の事情であり、こちらは時間通りに来たまでのこと。同じ気持ちは、ロビーで立ったまま待たされている派遣候補学生らとそのご父兄も抱いたことだろう。
RCは時間厳守。定刻通りに会議や行事が始まらなかった時には、実行委員長が開会に先立ち壇上から謝罪する。「ロータリーの好意と友情に免じてお許しを…」。決り文句だが、詫びの表現ではある。
ところがこのオリエンテーションでは、何事もなかったかのように始まってしまった。そのまま2時間経ち、その場を締めにかかったので、最後に質問してみたが、「委員長に申し伝えます」。しかし委員長の謝罪の弁はその直後の懇親会でも聞かれなかった。
交換学生は、今やロータリアン子弟よりもRC外の方が多くを占めるようになった。RCがどのような団体かよく知らないひとも多い。現段階で唯一RCと接するのが、地区のこうしたオリエンテーションである。そんな貴重な場で、このようなだらしなさを見せられ、RCはそういう団体か、と解釈されるのは不快である。
■ ROTEXの質の悪さ
オリエンテーションでは派遣候補生らが、配布された留学時の留意事項を回読し、後半はROTEXへの質問コーナーとなった。前回辺りからこれが定番化されたらしい。前回はたまたま来ていたROTEXひとりに質問が集中したが、今回は5名も用意していた。
□ 助言の与え方
イマドキの高校生の言葉遣いまで気にしていては始まらない。それにしてもオリエンテーションが、先輩学生として助言を与える場であるとの認識が欠如している。キャーキャー奇声を挟み、思い出話や自慢話を披露し合う。それは友達同士のおしゃべりの延長に見えた。その方がざっくばらんな話を引き出せるとの期待もあろう。が、それと「人に情報を伝える」行為は明らかに違う。メリハリは必要ではなかろうか。そうした下準備を行っていない、行き当たりばったりのYECに、多大な責任がある。
□ スポンサーRCへの敬意
自己紹介時、帰国後間もないというのにホスト地区番号を忘れている学生が多い。まぁそれはさほど必要な情報ではないからいいだろう。受入国を言えれば充分。
気になるのは、スポンサーRC名に誰も触れなかったこと。たまたま1名は、エピソード披露中にクラブ名を登場させたが、4名はまったく触れず。そこで最後の質問時、一人一人に尋ねてみた。ふてくされた表情で「○○RCです」と言うだけ。中にはホストとスポンサーの区別がついていない者もいた。
青少年交換事業は、ホストRCとスポンサーRCの体勢がしっかりしているからこそ成り立っている。学生にとっては地区委員会が前面に出てお世話している為、誤解している面もある。が、ホストファミリーや受入校を探し、日々の面倒を見るホストRC、派遣したスポンサーRCも相手国からの学生のために同様に、準備や日々のお世話に奔走する。様々なロータリアンがそれぞれの立場で責任をもって仕事を遂行している。
「○○RCのご支援で派遣されました」という文言は、ROTEXの自己紹介において何よりも先に口から出てきて当然ではないか。私はROTEXとしての立場で発言する際にはまず「1986-87年度、札幌西RCのスポンサーで豪州・アデレードに派遣されておりました」と断りを入れる。ほぼ常套句と化している。アクターやロータリアンになってから学んだ作法ではないので、交換学生時にオリエンテーションか何かの場で誰かが教えてくれたか、先輩REX(当時のROTEX)がそう述べているのを聞いて参考にしたのだと思う。リップサービスであっても、それが1年間他国での生活・学業を保障してくれたスポンサーRCに対する礼儀というもの。
今回の5名からはそんなスポンサーRCに対する敬意や関係者意識がまったく見られない。これもYECの責任だが、派遣する側の意識に欠けるスポンサーRCにも問題がある。
いずれにせよ、帰国してしまった学生にスポンサーRC云々の教育は意味が無い。課題は、そんないい加減な状態で派遣され、帰国してしまった学生らに「先輩学生」として教えを受ける派遣候補生に影響があるのではないかということ。反面教師であることを認識させる必要がある。
□ オノレの立場をわきまえろ
オリエンテーション中、ROTEXが「行く前に英語の勉強は絶対必要!!」と今更何を言ってるのかというアドバイスがあった。まぁそれはよい。英会話学校で勉強しても実地は違うというのも率直な感想だろう。だからナマの英語を勉強すべき、というところまで論が行き着いたところで、地区委員会から「ではこの後の懇親会で受入学生らと会話して学んでください」との締めの言葉が飛び出した。
これは聞き捨てならない。受入学生には日本語を覚えてもらうのが至上命題。そのためにボランティアにお願いしてまで地区をあげて日本語教育を施している。学生には「日本語以外使うな」くらいの指導をすべき立場のYEPがこともあろうか英語の使用を促している。
…との旨、質問をしている途中で遮るようにROTEXのひとりがこちらに向かって「だってみんな英語で喋ってるじゃん!」と抜かしてきた。驚いた。
これはもうRCがどうの、YEPがどうの、受入国がどうの、そんなレベルではなかろう。この子の資質である。ひとが話しているところで腰を折らない、という最低限のマナーを、彼女の18年間の生活で誰も教えなかったのだろう。気の毒ではあるが、そんなレベルの低い学生まで送り出さねば青少年交換事業は成り立たない程受験生が少ないのなら、無理に出す必要はない。ただでさえも緊縮財政に加え、会員数減少、ホストファミリー不足など、YEPを取り巻く環境は厳しい。質の悪い日本人高校生を海外に晒してまで、RCはこの事業を継続しなければならないのか。
たまたま今回のオリエンテーションの資料で、一人あたりの派遣額が掲載されていた。具体的な金額を載せるのはどうかと思うが、それだけお金がかかっているという釘を刺しておきたいとの気持ちはわかる。しかしRC独自の手間、YECが手弁当でこれにあたる労力を金額では換算できない。本来ならそちらを主張してほしかった。
その補足説明では、「最近では留学を斡旋する業者も多く、そうしたところに依頼するとこれ以上の費用がかかる」旨述べられたが、まさにそれが現実。つまりRCが留学を世話しなければならないような時代はとうに終っているのだ。
□ 来賓スピーチの目の前で座り込む学生
送別会の場のことである。いつもながらの立食。ガバナーの挨拶時に、その目の前でROTEXや交換学生らが、床に座り込んで聴いていた。ある者はあぐらまでかいている。
遠巻きにこれを見つけた時は、この後に何か出し物が続き、その準備をしているのかと思った。が、そんな動きもない。近付いてROTEXの一人に何故座っているのかを尋ねてみると「ここにいなさいと言われたので」。座っていろと言われたわけではないが、座っていることを咎められたわけでもない。そのすぐ横には地区委員が司会者としてマイクを握り、さらに地区委員長も脇に突っ立っている。
見かねて地区委員長をつかまえ、進言した。「仮にも当地区でもっとも敬意を表さねばならないガバナーに対し、あぐらで聴くのを良しとするつもりか」。
「あぁ、そうですよねぇ〜」と呑気に構えながら、それでもすぐに学生らに立つよう促してくれた。立たされた学生らは「なんで?」と言わんばかりの不満顔。食事に移ると数人のロータリアンが「よく言った」と陰ながらの評価をいただいた。皆、おかしいと思っているのである。しかし注意しないのは、ひとつには地区委員会の仕切りに対する遠慮がある。他の部門領域には干渉しない、オトナのロータリーの本領である。もうひとつは、それが若者気質との思い込み。新世代が主役の新世代部門行事で、老人が口を挟むのは野暮かな、と。
なかでも最も大きな要因は、若者への迎合という姿勢だろう。この場合、日本人と外国人との区別はない。若者がすることなすこと全て、目を細めながら見守る好々爺。これぞロータリアンの姿。地べたに座り込む若者を称して”地ベタリアン”などと薄ら寒い死語を得意げに使い、さも自分は若者のよき理解者然と振舞う。そういう”老タリアン”は、コンビニ前で車座に座り込んでいる若者に、問答無用に刃物で刺され、孫娘をレイプされ、家に火を放たれてからようやく、イマドキの若者が何も考えていない、ただだらしなかっただけだったという事実に気付き、事後、後悔しつつも恍惚の人へ変貌を果たすだろう。そんな先人に、躾の行き届かない若僧共を託されては、30代40代の中堅ロータリアンが迷惑を被る。
さて、今回の豪州学生送別会。5名が無事1年間の派遣をまっとうした。
それぞれお別れのスピーチしたが、5名とも例年になく日本語が話せない。1年間勉強して、その程度?
今年は特に資質の悪い子が多く、ホストRCによる締め付けの緩い子などは無断外泊などでホストファミリーから随分苦情が出ていた。昨年のメキシコ人学生のような、ホストRCで受け入れ態勢を整える時間が足りずに他RCからの協力で1年間を乗り切ったケースと違い、明らかに学生がRCを始め日本人を舐めきった弊害として表れた形だ。
日本語ができないのは、RC側の環境設定に問題がある。常に英語で語りかけ、英語圏からの学生同士でつるませるなど、かなり甘い状態で放置してきた。
斯く言う私も16年前はロータリー交換学生。豪州で1年間を過ごしたが、日本人学生同士、日本語で一言二言声かけ合っただけで「Speak English !」と周囲のロータリアン或いは交換学生が注意してきたもの。「最近どうよ?」程度は許してよ、とその時点ではムっとしたものの、しかし反論するべきものではないのは高校生でも理解できる。そのひとは当たり前のことを言ったまで。
翻って日本で、学生同士で英語を使っているところで「日本語で話せよ」と注意すると、顰蹙を買う。曰く
あのひと(つまり私)は冷たい
たまに英語を使ってガス抜きさせてやればいい
と。「ガス抜き」はYEPがよく使う理由説明。
私は英語を使わざるをえない環境だったから、すぐに英語を覚えた。覚えてしまえば、後の生活は非常に楽だった。今回帰国の豪州学生らはその点、英語を使えて楽だったろう。一方で日本語を使えない分、日本でもっと多くのことを知ることができたであろう機会を逸した筈。それだけRCの罪は重い。